NITSニュース第245号 令和7年6月20日

言うは易しの「個別最適な学び」

独立行政法人教職員支援機構 審議役 島谷千春

4月からNITSに仲間入りをしました島谷千春と申します。皆様どうぞよろしくお願いします。

様々な文脈から、個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実を通じて、主体的・対話的で深い学びを実現することが求められているわけですが、現場の先生にとって、「協働」の方はまだ馴染みがあるとしても、「個別最適」というのは、言うは易しの世界だと感じている方も多いと思います。

3月までいた石川県加賀市の現場で、先生たちと子ども主体の授業に変えていくことをひたすら求め、熱っぽく語り合って、悩みながらも、前に進んでいくことができた源泉は、目の前にいるあの子たちを誰一人この義務教育の学びから離脱させたくない、その一心でした。目の前のあの子たちに「学びは楽しい」という感覚を絶対に持って欲しかった。それがあの子たちの日々を「意味あるもの」にして、それぞれの「変容」を後押しすることにつながり、また、将来子どもたちがどんな時代を生きることになろうとも、学びを味方にすることが彼らの強さとなり、どんな道でも進んでいけると思っていたからです。

学びの楽しさを得るためには、「学びは自分のもの」という学びの所有権が自分にある感覚を持つことが必要になります。なので、それを実現するための一つの方法として、他律的な一斉授業のなかで苦しみの要因となっている「進度」を合わせることから子どもたちを解き放ち、子どもが学びを主導する授業づくりをみんなで試行錯誤し、全員の学びをゼロにしない授業を本気で探究していました。結果的には、それが今求められている「個別最適な学び」に近い世界なんだと思います。

集団の「平均」という概念や「全員をB規準に到達させる」というような囚われは、「個別最適な学び」を妨げることにはならないのでしょうか。学びの構造転換は、こういった従来大事にしてきたものの捉え方や「観」の転換を経ないと正直実現できない世界だと感じています。ただ、この転換は、わりと地道で地味なものだとも思っています。先生たちを見ていると、意識改革の在り方に特徴がありました。

授業が変わっていく先生の様子を見ていると、一旦新しい実践にトライしてみて、対話による気付きも得ながら振り返り・内省し、感覚的にやってきたことを俯瞰しつつ言語化しながら整理・概念化していき、さらにそれをベースに自己調整・修正して新たな実践・経験を積み上げていく、そういう試行錯誤のサイクルを回し続けていました。そういった過程で、凝り固まっていた自分の「観」に気づいたり、実践を通じて新しい「観」に出会ったりしながら、子ども観が徐々に徐々に変わっていきました。それがいわゆる「意識改革」の正体ではないかと感じています。

なので、まずは「意識改革から!」と最初から気負って高いハードルを自分に課すことなく、まずは子どもたちを信じて、彼らが自分の意思で考えて取り組める幅を増やしていきませんか。その一歩目の大切なお供は、「我慢・信じる・待つ」という先生の心持ちかもしれないです。そして次につなげるために大事なのは、その素敵な一歩を「振り返る」ということだと思います。

「子どもの学びと教師の学びは相似形」

学びは必ずつながっていきます。