人権教育指導者養成研修 7月17日

7月16日〜19日の間、「人権教育指導者養成研修」を開催しています。 2日目である本日は、午前は筑波大学の水野智美准教授による講義「障害理解を中心とした心のバリアフリー」、宝塚大学の日高庸晴教授による講義「学校で配慮と支援が必要なLGBTsの子どもたち」、午後は事例発表・協議・演習を行いました。 受講者に感想を伺いました。 -障害理解のためにどんな授業を行うか 障害理解のための授業で、「健常者も障害者もみんな同じなんだよ」と発言していたことの問題点に気付かされた講義でした。もちろん、すべてが同じであるわけがないのだけど、私としては「差別したり偏見を持ったりせず共に生きてゆきましょう」という意味での発言でした。しかし、子どもたちに、違うものを「同じ」だと一方的に押し付け、違うと思うことはいけないことなのだと思わせてしまう授業だったのではないかと思います。今日の講義を受けて、同じところと違うところ、どちらも子どもと一緒に考えてみることが大切だと感じました。視覚障害の理解であれば、目隠しをして歩かせて、「見えないまま歩くのは怖いね」と、いきなり”違うところ”から着目してしまうと、「確かに大変だなあ。自分とは別の世界の人なんだ。」という認識で終わってしまいます。まずは「これなら目が見えなくてもできる!」という”同じところ”から考えていき、それから”違うところ”を考えて、じゃあそこを補うための支援方法は?補助器具は?という流れで理解を深めていければ、子どもたちも誤った認識を持つことなく障害について学べるのではないかと思っています。 -「君は一人じゃない」と気づいてもらうには LGBTsの講義の中で視聴した動画の最後に、「君は一人じゃない」というセリフがありましたが、これは学校の様々な場面でとても大事な言葉だと思っています。今回はLGBTsをテーマにした動画でしたが、障害やいじめ問題においても、寄り添う気持ちが必要であることに変わりありません。しかし、寄り添うということは簡単なことではないとも思います。特にLGBTsやいじめに関する苦悩は、誰にも相談できないと感じている生徒も多いのではないかと推察します。そんな生徒の悩みに気づいた時に、よかれと思って大人だけの判断でとった行動が、もっと生徒を追い詰めてしまうことにもなりかねません。まずは本人の希望を聞いて信頼関係を築いていくことが、寄り添うことの一歩になるのではと考えています。 -知識を更新し続けること 3月まで学校に勤務していた身として、今までの生徒たちとの接し方を振り返ってみてドキッとしました。「オネエ」や「オカマ」というワードを笑いの対象にしたことはなかっただろうか。理由のわからない不登校に対して、LGBTsで悩んでいるという可能性を少しでも考えたことがあっただろうか。きっと、同じようにドキッとされた先生がたも多いのではないでしょうか。私の受け持っていた学級には、LGBTsで悩んでいそうに見える生徒も、LGBTsをカミングアウトしてくる生徒も、おりませんでした。ですから頭の隅に常にそれを置いて、授業したり生徒たちと接したりするということをしてこなかったんです。今思えば、隠れて悩んでいた生徒がいたかもしれません。実際に自分のせいで過去に傷ついた生徒がいたら…と後悔しても過去はどうすることもできませんが、今からでも、教員一人ひとりが正しい知識へと更新していかなければならないと思います。