NITSニュース第13号 平成29年9月15日

スクール・マネジメントを考える(Ⅴ)―「教員の多忙化」をどうするか―

独立行政法人教職員支援機構 理事長 高岡信也

今,学校では「教員の過剰な勤務実態(過重労働)」が問題になっています。2013年のOECDの調査から,「先進諸国の中で,わが国の教員は,群を抜いて勤務時間が長い」という結果が出て,俄然注目を浴びるようになりました。「俄然」というのは,「これまでも,実態はそうだろうという推測を,誰もがしていた」と考えるからです。実態はわかっていた,ただし最近まで,そのことが大変な問題だという認識がなかった,ということです。

先生という職業人の日常は,まさに,「身を挺して子供の教育に」であり,極端に言えば「家庭も,実の子のことも顧みず」身を捧げることが当たり前,教師は,あらゆる「教育的指導」に従事する,それが日本の学校の伝統ということです。「指導文化」という言葉があるそうですが,まさに,日本の学校教育をそのものずばり表す表現です。

島根県の小さな町の教育長をやっていた時期,考えさせられる出来事に出会いました。とある小学校の合唱部,全国大会・金賞の過去もある伝統校で,「今年こそは!」と保護者,住民こぞっての応援に熱が入り,指導する教員と軋轢が生じました。「土・日関係なく指導して欲しい」という過剰な要求から,そのうちに「(この教員は)どうも指導力が弱い,少なくとも熱心さに欠ける」にまで話が及び,教員の方がキレました。 「私にだって家庭も家族もある!土・日は出ない!」。それこそ!!ビックリマークです。日頃は温厚な町会議員さんや保護者の代表も,こうなると手がつけられません。「教員たるもの,親の死に目にも会えない覚悟で・・・。」という話になったところで,「ちょっと言い過ぎでしょう?」と介入してようやく一件落着,という次第でした。もうお分かりでしょうが,考えさせられるのは,教員に浴びせられる保護者や地域住民の眼です。 しかし,ことをもっと複雑にしているのは,教員自身にも,教育に従事するものとしての矜持,という意味で,「親の死に目にも・・・」の自己認識が蔓延していることでしょう。

授業(教科の指導),生活・生徒指導,学校行事,部活指導,果ては給食費の徴収業務まで限りなく「教育」の名の下に従事する,あるいはさせられる。給食費の銀行自動振込制度を作ったことで「さすが大学から来た教育長」と議会で褒められたときは,「入る穴」を探したほどでしたが,当時(15年ほど前),やはり教員の勤務状態は「多忙」の一語に尽きたように思います。

スクール・マネジメントのエッジを効かせるということは,徹底的に業務の効率化を進めることだ,とは簡単には言い切れない文化,学校と教員あるいはそれを取り巻く社会の何れにも存在する独特の精神構造があるのです。それだけに問題は複雑でしょう。従って解決策も一筋縄ではいかない困難を感じます。

中央教育審議会でも,学校の業務改善,多忙の縮減をテーマにして特別部会が始まりました。しっかりとこの複雑な問題を解決する哲学を示して欲しいと考えるのは私だけではないと思います。少なくとも,最近マスコミが報道した「タイムカードの導入」などという,くだらない議論に陥らない様に祈りたいですね。