NITSニュース第12号 平成29年9月8日

スクール・マネジメントを考える(Ⅳ)―「学校への過度の期待」に向き合えるか!―

独立行政法人教職員支援機構 理事長 高岡信也

これまで主として,戦後における学校経営の研究の動向について,昔話風に書いてきました。そろそろ,「さて,それで?」の段階かと思いますが,本質的な問題が残っているようです。もう少しお付き合いを。

さて,平成の時代は教育改革の時代だと言われます。昭和最後の時期,「臨時教育審議会答申」が世に出て教育改革の狼煙(のろし)が上がり,まずは生涯学習という言葉が教育界を席巻しました。 来るべき21世紀の教育の道筋を示すとして提案された答申でしたが,あとから考えれば,学歴社会の是正もすぐにでもやってきそうな勢いだった生涯学習社会も案外遅々として進まず,そんなこんなで四半世紀が過ぎ,世上,今なお「教育改革」論が華やかです。気がつけば,学校には多くの改革課題が持ち込まれ,時には過剰とさえ思える期待が掛けられるようになりました。

そもそも,近代社会が経験した「世紀の転換,変わり目」は,「世紀末」という言葉に象徴される様に,時代を悲観的に見る傾向があります。局地的であれ,世界規模であれ,止むことのない戦争の繰り返し,混迷する社会,矛盾に満ちた時代に生きる人々は,「自分の生きている時代は,その混迷や矛盾を解決する術(すべ)を持っていない」と考えました。 そうであれば問題の解決は,次の世代に期待しなければならない,自分たちの世代にできることは,「後事を託す人々」を育てることではないか。そうだそこに委ねよう。とまぁ,とどのつまり,教育改革へのある種の熱狂は次の世代への期待,未来は今よりもっとよい時代であって欲しいという良識の発露,しかし実は,問題の先送りなのかもしれません。

それにしても,21世紀のわが国ほど教育改革への意欲を持続する国も珍しいのではないかと思います。しかしよくよく考えてみると,今の時代の改革への熱狂は,いつの間にか,未来への光明という期待に満ちた楽観的視点をなくしているのではないか。 私たちは,「未来は予測不能な社会である」,「現在ある職業の過半数が30年以内に消滅する」といった言説や,高度なICT社会の出現,それを支えるAI技術の予測不能なほどの技術革新など,私たち自身の想像力の範囲を遙かに超えた「現実」に翻弄されながら教育の問題を考えている,と言っては言い過ぎでしょうか。

しかし,先の見えない社会と,その社会に生きることを義務づけられた子供たちの教育を,「現にこの時代に存在する」学校と教員に委ねようとする「教育改革」にはやはり少し無理があると思うのです。未来を生きる子供たちの教育は,そのような小手先の改革では,もうどうにもならないところまで来ている。21世紀の成熟社会の教育の主たる担い手は,極論すれば,20世紀を席巻した近代社会の産物=「学校」ではないのではないか。 臨時教育審議会が求めた生涯学習社会の予想図が,学校という「教育的入れ物(箱)」の崩壊や社会への溶け込ましを明確に意識していたかどうかは定かではありません。しかし少なくとも,現実の社会の方が,遙かに速いスピードで学校を追い越していったことだけは間違いないようです。学校は依然として子供たちの教育を担うことのできる組織であるか?が問われているのです。スクール・マネジメントを考えるということは,この本質的問いにも耐え得る構えを必要としていると考えるのですが・・・。