NITSニュース第12号 平成29年9月8日

生徒指導における理解と「聴く」こと

関西外国語大学 教授 新井肇

「生徒指導は児童生徒理解にはじまり、児童生徒理解におわる」と言われる。
理解において大切なことは、教員が児童生徒の行動をみるときの自分自身の立ち位置に気づくこと(自己覚知)である。対象を観察対象とみて、観察主体である自分との関係を切断したところで事象を捉えるのではなく、対象は観察主体に影響されるという認識に立って関係性の視点から事象を捉える「臨床の知」*注1に基づく姿勢が求められる。問題の原因を児童生徒本人や家庭のみに求めるのではなく、教員が自分自身の関わりの有り様について問うことを忘れてはならないであろう。

そのうえで、子どもの話をしっかりと「聴く」ことである。たとえ相手が子どもであれ、精一杯生きていることを認め(尊重する)、コントロールすることなどできない(欲を捨てる)と自覚してはじめて、相手の身になって感じ、相手の心になって考えること(共感的理解)に近づくことが可能となる。

「私たちは相手の話だけを聴いていることなどほとんどなく、自分の思考と共に聴いている」*注2という指摘がある。子どもの話を真剣に聴いているときに、自分のなかで様々な考えや感情が湧き起こってくるのは自然なことである。しかし、それに支配されてしまうと、話を聴くことができなくなる。何とかしてやりたいと焦って、自分なりの考えを伝えたくなり、「待つ」ことができなくなってしまうのである。

「聴く」というのは、相手よりも先走らず、結論を急がないことであるが、そうすることはとても難しい。子どもの話をきちんと受け取るために必要なことは、自分の考えや感情を少しだけ棚上げすることである。そのためには、教員が自分自身の考え方や感じ方のクセを知ること(自己理解)が不可欠であろう。

(注)