NITSニュース第8号 平成29年8月10日

アメリカ経営学から学校経営学へ,先人から現役世代まで

独立行政法人教職員支援機構 理事長 髙岡信也

学生時代,教育学研究の一分野として教育(学校)経営学という研究領域があることを知りました。遥か40年以上も昔のことです。大学院の先輩や同期入学の院生の間でもなかなか人気のある分野で,講座としても賑わっていたように思います。 新進の若い世代が強い関心を示し,自らそこに身を投じようとする分野であったことは間違いありません。何しろこの分野の当時のリーダーは,「学校は管理の対象ではなく,経営的観点を持って運営するものだ」という強い主張がありました。 なにかこれまでとは違った新しい研究分野が開拓される,しかも,現にそこに存在する学校というものを変革する理論が構築されようとしているという高揚感もありました。

この分野を選んだ学生や大学院生は,この高揚感を共有したい,できれば得意な英語も生かしたい,という動機を持っていたようです。なぜなら,当時の学校経営,教育経営に関する文献は,ほぼすべてアメリカの,しかも一般経営に関する理論研究だったからです。「一般経営学から教育経営学へ,そして最後に学校経営へ」という筋道がほぼ確定しており,研究に必要な言語も英語だったのです。

私自身は,この分野に関心は持ちながら,結局選択肢から外してしまいました。一番大きな理由は単純で,研究に耐えうるほどの英語力に自信がなかったから。しかし同時に,一抹の頼りなさというか,「教育学を志すものがなぜアメリカの一般経営理論から研究を始めるのか」という疑問が解けなかったことも一因でした。 何人かの教授に聞いて回ったりもしましたが,「新しい分野には,そのもとになる基礎理論,枠組みが必要だから,まずはアメリカの経営学を,そののちに自前の学校経営研究をやる」という答えでした。 それは,教育学一般が抱える脆弱性,応用科学の宿命という話であり,「なぜあなたはアメリカを研究するのか」といった「根源的問い」には答えていません。当時の「若気の至り」的心理状態にあった私をそこに駆り立てる何かが,見つからなかったのです。「この研究でなければやる価値がないというほどの説得力を感じなかった」ということです。

それから幾星霜,学校経営学を志した数多くの研究者の子孫の中から,わが国の学校を直接の研究対象とした学校経営論や実践的研究の書き手がたくさん輩出されるようになりました。研究者は,決して大学の研究室に閉じこもらず,学校や地域の現場に出向いて,そこにある現実の組織運営の改善に取り組んでいます。 おそらくそのような研究者の体内には,先人たちが始めた外国研究の血が流れているのでしょう。まさに血肉化された知見,学校の現状を即座に分析し,最適解を見いだし,わかりやすく説明する能力が,半世紀を経てようやく身についたのだと思えます。「若気の至り」は,私一代の,しかも人生の前半期にかろうじて発現できた独りよがりだったかもしれません。 少なくとも,現役の学校経営の研究者たちは,私の世代を指導した先人たちとは全く違う使命感を持ち,異次元の領域で仕事をしているのだと思っています。