NITSニュース第233号 令和6年6月21日
探究のはじまりと終わり
独立行政法人教職員支援機構 フェロー/株式会社ベネッセコーポレーション 教育イノベーションセンター 主席研究員 山下真司
「探究って、どうしてやるんですか?本当にやらなきゃいけないんですか?」
ある生徒が、先生に投げ掛けた質問です。皆さんは、どう回答されるでしょうか?
全国の学校で幅広く実践されている総合的な探究(学習)の時間。特に高校では、学校の特色や地域の魅力、生徒の実態に応じた探究学習に取り組まれており、生徒自身が在り方や生き方を考える学びの機会となっています。さらには、大学入試選抜(総合型選抜や学校推薦型選抜)においても探究学習を評価する大学が増えています。他方で、「やらされ探究」「こなすだけ探究」と揶揄されるように、本来の目的や本質を見失いがちな取組を目の当たりにすることもあります。また、教員間の意思統一が図れず、学校組織としての取組に昇華できないという課題を抱えた学校も少なくありません。
先般、地域のトップ校と称される高校の探究最終報告会に参加しました。ポスター発表はどれも素晴らしく、物怖じしないプレゼンテーションも印象的でした。ただ、質疑応答の場面になるとどこか言葉が上滑りしていて自分ごと化していない様子。教員による指導の姿が透けて見えるような違和感を抱きました。私は「もう一度やるとしたら?」と、生徒の「熱源」、つまりなぜそのテーマが気になるのか、どうしたいのか、と内発的動機を探ります。
また、ある定時制高校夜間部の探究発表会に審査員として参加した時のことです。さまざまな事情を抱えた生徒たちがいるがゆえ、発表は別室で行われ、オンライン越しに見る生徒たちの発表は自己開示を伴ったものが多く、心を揺さぶられました。なかには大幅に時間超過しても、自分の考えや思いを伝えようとする生徒も。その生徒は終了後に審査員のいる教室を訪れ、質疑を繰り返す場面もあり、「あの生徒は初対面の人とは目も合わせられないのに」と担当の先生を驚かせていました。
探究は研究と違って、必ずしも成果を生み出さなくてもいいと思っています。悔しさを前面に押し出した発表があってもいい。上手くいかなかったとしても何がダメだったのか、次はどうしたいのか?など、自身の経験を言語化し、メタ認知できるかどうか。だからこそ、探究に取り組むにあたっては、
「素材(何について)」×「アプローチ(各教科の見方・考え方の活用)」×「熱源(なぜ)」
そして「リフレクション(何を学び、次にどう生かすのか)」の要素が大切だと思っています。総合的な探究(学習)の時間だけでなく、各教科・科目の学びと連携しながら、学びをさらに豊かにしていく、カリキュラム・マネジメントの視点が欠かせないと思います。
さて、探究の意義を先生に投げ掛けた生徒の話に戻ります。その生徒は、納得のいく回答が得られなかったことがきっかけ(はじまり)となり、総合的な探究の時間について調べ始め、学習指導要領も読み込んでいきます。そして、中間発表会ではその必要性を語るとともに、先生方にももっと学んで欲しいと発表したようです。生徒たちの心に着火する導火線は、意外とごく身近なところにあるのかもしれません。
では、探究に終わりはあるのでしょうか?卒業までに自分なりの解を見つける生徒、研究として大学で学び続ける学生、社会に出てからその解に気づく人もいるかもしれません。探究が心を動かすエンジンのようなものだとすれば、生徒と同様に、教員自身も探究心を持ち学び続けること。おそらくその姿は、生徒の学びの姿に現れるのではないでしょうか。