NITSニュース第226号 令和5年12月15日

学習評価においてまず確認しておきたいこと

京都大学 准教授 石井英真

「見取り」「評価」「評定」の違いとは

「評価」という言葉を聞いて何をイメージするでしょうか。些細な仕草からその日の子どもの心理状況を感じ取ったり、授業中の子どものかすかなつぶやきをキャッチしたり、教師は授業を進めながらいろいろなことが自ずと「見える」し、見ようともしています(「見取り」)。しかし、授業中に熱心に聞いているように見えても、後でテストしてみると理解できていないなど、子どもの内面で生じていることは、授業を進めているだけでは見えていない部分も多く、そもそも授業を進めながら全ての子どもの学習を把握することは不可能です。さらに、公教育としての学校には、意識的に「見る」べきもの(保障すべき目標)があります。教える側の責務を果たすために、全ての子どもたちについて取り立てて学力・学習の実際を把握したいとき、その方法を工夫するところに「評価」を意識することの意味があります。そして、認定・選抜・対外的証明のために「評価」情報の一部が用いられるのが「評定」です。

「指導と評価の一体化」が「指導の評価化」に陥らないために

「評価」という言葉で、この「見取り」「評価」「評定」がごちゃまぜになっていることが、「評価」をすればするほど疲弊し、授業改善から遠ざかるという状況の背景にあります。「評定」のイメージが強いために、「評価」というと、テストで点数をつけて判定するという、日々の授業実践と切れた業務と捉えられがちです。逆に、「見取り」と「評価」・「評定」とを混同して「指導と評価の一体化」を捉えてしまうことで、教師と子どもの応答的な関係で自然に見えているものを、平常点の「評価」だから客観性がないといけないと必要以上に記録(証拠集め)をしてみたり、評定のまなざしを持ち込んだりして、日々の授業において教師が評価のためのデータ取りや学習状況の点検に追われる事態も生じています(「指導の評価化」)。

「指導の評価化」に陥らないためには、総括的評価(最終的な学習成果の判定(評定))と形成的評価(指導を改善し子どもを伸ばすために行われる見取り)とを区別することが重要です。思考力・判断力・表現力を形成するために授業過程での子どもたちの活動やコミュニケーションを丁寧に見守り観察(評価)しなければならないのは確かですが、それは形成的評価として意識すべきものです。総括的評価の材料なら、子ども一人一人について、確かな根拠を残しながら客観的に評価することが求められますが、形成的評価なら、指導の改善につながる程度のゆるさで、ポイントになる子のみを机間指導でチェックしたり、子どもたちとやり取りしたりすることを通して、子どもたちの理解状況や没入度合などを直観的に把握するので十分です。

このように、形成的評価と総括的評価を区別し、記録を残す総括的評価のタイミングを重点化することで、評価に関わる負担を軽減することができます。そして、記録に残す評価のタイミングを絞る上でも、目標を明確化することが必要であり、出口の子どもの姿で目標を具体的にイメージできていれば、子どもたちのつまずきや成長がキャッチしやすくなり、自ずと形成的評価が促されます。「指導と評価の一体化」の前に「目標と評価の一体化」が重要なのです。

参考文献