NITSニュース第206号 令和5年1月13日

『体力向上』を図るために

桐蔭横浜大学 スポーツ健康政策健康学部 教授 佐藤豊

改めて、体力とは何かを再考してみます。
なぜ、体力の向上を図るのでしょうか。私たち指導者側にいる方々の多くは、体力向上の取り組みを通じて様々な恩恵を受けてきた側です。「健康になる」「運動のパフォーマンスが高まる」「けがの予防につながる」「気持ちが高まる」「忍耐力がつく」など、自身が実感した「心と体への運動の効果」を信じています。

一方、子供たちは、頭の中では「その通りだ」と感じていますが、指導者がいくら知識を伝えても、実践する比率、生活の中で慣習化する比率は、さほどでもないという現実と皆さんは直面していると思います。

その時に、「わかること」と「できること」をつなげることは、結構難しいと感じるかもしれません。事実、行動化は、そう簡単ではありません。
まず、行動につながる知識に着目してみます。知識にもいろいろなカテゴリーがあり、「心と体への運動の効果」は、概念的知識(概念知)と言え、「何のために?」に該当すると考えます。

次に、「何をしたらよいの?」がわからないと行動化しようがないため、具体的な運動を私たちは提示します。その中でも、具体的な方法である持久走、腕立て伏せ、腹筋、背筋、ラジオ体操などの運動例を取り上げたとします。効果的な持久走の取り組み方、腕立て伏せの行い方等をしっかりと学習させることは重要ですが、「なぜ、これをやっているのか」という有用性が理解できない場合、人は続けて取り組もうとは考えないと思います。

「運動は、心と体に効果がある」ことは、分かっていても、何でそれが「腕立て伏せ」なのかの理解に苦しむかもしれません。そこで、行動化につなげるためには、コアとなる「何を、どのように」を提示していくことが重要だと言えます。

「体力とは、柔らかさ、巧みさ、力強さ、運動を持続する能力で構成されること」や、「トレーニングには全面性、斬進性、反復性、個別性、意識性などの原則があること」、「一つの体力の構成要素を高める高め方や、様々な体力を組み合わせて高める方法があること」などの実践に役立つ具体的知識が増加していくにつれ、今、自分が取り組むべき課題が腕立て伏せなのか、別の運動なのか、あるいは腕立て伏せのアレンジの仕方なのかを自身で思考し、判断できるようになります。

体力向上では、しばしば、さんま「時間、空間、仲間」という環境的要因の重要性も述べられます。 もちろん、これは欠かせない視点ではありますが、環境的要因を整えたとしても、体力向上の人的要因としての原動力は、体力を高めたいと思う「意欲」に基づくものであり、それをどのように育てるかという命題にたどり着くかと思います。

では、体力向上の「意欲」はどのようにして高まるのでしょうか。
前述した「健康になる」などの心身への効果は、運動やスポーツの「外在的価値」とも言え、そのメリットが伝えやすいものです。同時に、意欲を高める際の具体的知識(具体知)や方法論的知識(方法知)を発達の段階に応じて提示し、「なぜ、何を、どのように」という知識を俯瞰的に習得させていくことも効果的と言えるでしょう。

しかしながら、私が、そして皆さんが夢中になるときは、何がそうさせているでしょうか。私は、しばしば、登山家ジョージ・マロニーの「そこに山があるからだ」という名言を引用して説明するのですが、運動やスポーツの最も大切な意欲の源流は、運動やスポーツのもつ「内在的価値」だと考えます。

「意欲」に理由はなく、「やりたいから」が究極のエンジンになると考えます。「学習指導要領」では、「運動の楽しさや喜びを味わう」というキーワードが示されていますが、それぞれの運動のもつ特性に触れ、「楽しい」と感じた時、初めて「続けたい、もっとやりたい」という意欲が生まれるものと思います。「体力向上」を何かの補助的手段あるいはペナルティーとして扱うことは避けたいと考えます。

他者との競争原理や分かりやすい「新体力テストの測定項目」を高めることで、一時的に体力の向上が見られることは否定しません。しかしながら、一方で、全ての児童生徒が競争を求め、測定体力の向上を目的とした「体力向上」を楽しむという想定も難しいものです。

ダイバーシティ(多様性)のある共生社会で生き抜く子供たちの資質・能力の育成に資する「体力向上」の方策の解答は一つではありませんが、予測困難な時代を生きる一人として、「何のために」を皆さんとともに考えていきたいと思います。