NITSニュース第200号 令和4年10月14日

幼児教育と小学校教育の接続

玉川大学教育学部 教授/東一の江幼稚園 園長 田澤里喜

私は大学教員と幼稚園の園長を兼任しています。その園の保護者や入園希望者から「遊んでばかりで小学校行って大丈夫ですか?」と時々、聞かれることがあります。
これに対して私は「遊んでない方が心配ですよ」と回答することが多いです。私のこの答えにびっくりする保護者も多く、それは小学校が“きちんとする場所”“先生の話を聞く場所”といった形骸化したイメージをもたれていたり、我が子が困らないよう「きちんとさせた方がいいのでは?」という保護者の思いがあったりするからでしょう。

小学校学習指導要領には総則に次の一文があります。

「(略)特に、小学校入学当初においては、幼児期において自発的な活動としての遊びを通して育まれてきたことが、各教科等における学習に円滑に接続されるよう・・・(略)」

「自発的な活動としての遊び」とは「○○マルマルして遊ぼう!」「昨日の続きしよう!」「○○マルマルちゃんと遊びたいなあ」「あれ、楽しそうだなあ」と、子ども自らが出発点となって遊び込むような姿がイメージされます。

このような「自発的な活動としての遊び」には、たくさんの学びや育ちがあるからこそ、それをキャッチして小学校はスタートしようと学習指導要領は伝えてくれています。

一つの例を示します。先日、私の園の5歳児が紙を長くつなげて遊んでいました。どんどん長くなり計ってみたら25メートルにもなったのです。
そして、「25メートルってどのぐらい?」とのつぶやきから調べたら、シロナガスクジラのメスと同じぐらいだったのです。

さて、この事例の子どもたちの学びとは何でしょうか?例えば「数字を理解する」「比較してみる」「動物などにも興味を持つ」というような学びもあり、これらも大切な学びですが、それだけではないはずです。紙をつなげて25メートルになったことへの喜びや達成感、周りの子どもが「すごいね」と認め合うこと、もっとやってみようとする意欲など目に見えない学びや育ちもたくさんあったはずです。こういったことも、小学校以上につなげていきたい学びではないでしょうか。

さらに、子どもたちは様々な遊びを通して「楽しい」「おもしろい」という感情にたくさん出合います。もちろん子どもの世界もいろいろですから、悔しいことや怒りたいことや悲しいこともありますが、遊びは様々なことをも飲み込みながら、「楽しい」「おもしろい」の感情に多く出合うことができるのです。

勉強も同じく、新しいことを知り、自ら考えることなどは、わくわくし楽しいものであるはずです。そんな勉強や小学校生活がより楽しくなるためには、幼児期に大人から与えられた毎日を過ごすより、遊びを通して、自分たちで「楽しい」「おもしろい」を見つけていく経験をたくさんし、様々な事柄の中の楽しさを発見できるようなアンテナを育てていくことが大事だと思うのです。

玉川学園の創設者、小原國芳は「子どもは遊戯をしないと馬鹿になる」と言いました。小原のいう「馬鹿」とは勉強ができる、できないということだけでなく、遊びには様々な学びや育ちがあることを小原は「馬鹿」という言葉を使って示したのでしょう。これは幼児期だけでなく、小学校以上にも通用する言葉でもあるのではないのでしょうか。