NITSニュース第189号 令和4年5月13日

対等って

独立行政法人教職員支援機構 理事長 荒瀬克己

昔話をひとつ。
高校時代、生徒にとっていちばんだいじなのは、教師の問いに対して教師の満足のいく答えを出せるかどうかだった。先生が主人公だった。授業という言葉自体、業を授けるということだから、そのことを不思議には思っていなかった。

国語の授業を思い出す。古文では文法に則して正確に訳すことが重要だと教わった。漢文もしかり。評論では、筆者の主張について説明を受けた。小説や詩歌においても、複雑な解釈を必死になって聞いていた。同時に生徒は、教師の板書に遅れないように首を上下し続けた。

時々教師は生徒に問いかけるが、それは決められた答えを即座に言えるかどうかを試すものだった。しかし、当時のわたしはそんな授業が嫌だったわけではない。
教師の指摘が明快であった。「そのとおり」、「そうかな」、「もっと考えろ」といった具合だ。生徒が答えられないときや間違った場合は、すぐさま正解の披露があって、生徒は「そういうふうに考えるのか」と自分の不完全を補う。
授業とはそういうものだと思っていた。このことをすべて否定する気はいまもない。

ある日、現代国語の授業で、井伏鱒二の『山椒魚』を習った。昼休みになって、何となく何人かが集まった。友人が、穴倉から出られなくなって窮した山椒魚を表現した比喩について、教師の解釈に納得がいかないと言い出した。自分もそうだと言う者がいた。自然に話し合いになった。ちょっとした反乱に興味をそそられて、わたしも加わった。
それぞれの話には重なるところと異なるところとがあった。ひとしきりお互いの考えを出し合った末、教師の説明は一面的ではないか、ということで一致した。

翌日の授業中のことだ。板書する教師の背中に向かって、友人が突然「先生」と言って立ち上がった。教室の空気が動いた。同級生たちが不審そうに友人を見た。
おずおずと話し出した友人をまっすぐ見つめ、チョークを持ったまま固定したように聞いていた教師が口を開いた。「それは違うね」。友人は何か言おうとしたが、すぐには言葉が出なかった。「言いたいことはそれだけか」。返事を確かめることのないまま、教師は黒板に振り返った。
チョークの音がいつもより大きく聞こえた。少しの間、友人はそのまま立っていた。
事件はそれで終わった。

国語教師になって、このことを時々思い出した。傍観者であったことがいまでも恥ずかしい。ただ、それとは別に、あの昼休みのやりとりのことを思い返すようになった。
それぞれの読みとりに基づいて話し合うのは楽しかった。解釈が重なると、安心できてうれしかった。違っていても、説明を伝えたり聞いたりするうちに納得できることもあった。尋ねたり尋ねられたりして、気づいていなかったことに気づくということも知った。
学ぶということを初めて実感した体験であったように思う。高校生になってからのことだから、わたしはおくてだったのだろう。

それにしても、学び合えるのは楽しい。楽しいのは対等であるからだ。対等とは違いや差のないことではない。違いや差の存在を認識して、少しでも相手を読み解こうとすることが、対等になるということだ。だからまず、相手の話を静かに聴く。理解の度合は人によって差がある。しかしそれは優劣ではない。違いがあるだけだ。
対等になると、相手から学ぶことができるようになる。子どもと対等になると、子どもから学ぶことができるようになる。
子どもの言葉に耳を傾ける。それは下に対する上からの配慮といったものではなく、おとなとしての基本的な礼儀である。対等になるということは礼儀をわきまえることにほかならない。