NITSニュース第83号 令和元年5月10日

『社会通念上のいじめ』と『法令上のいじめ』を区別する

日本大学文理学部 教授 藤平敦

NITSニュース読者の皆さんこんにちは。 藤平敦です。平成31年4月1日付けをもちまして日本大学に着任をいたしました。文部科学省国立教育政策研究所に在職中は、心温まる励ましのお言葉をたくさんいただき誠にありがとうございました。引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、ご存じのように、「いじめ防止対策推進法」第2条では、「「いじめ」とは当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。」(一部抜粋)と定義しています。つまり、児童等が「いじめられた」と感じ、大人に相談をした場合には、それがどのような行為によるものであっても「いじめ」と認知しなければいけないことになります。
このことから、皆さんの地域や学校では、いじめの捉え方に違和感を抱いたり、 「いじめ」 という言葉に敏感になりすぎてはいませんか。日々の教育活動を円滑に進めるためにも、まず第一に、「社会通念上のいじめ」と「法令上のいじめ」を区別してみてはいかがでしょうか。

例えば、学級やチーム内の運動が苦手な子供に対して、「おまえがいたから負けたんだ」などと、集団で継続的にはやし立てるなどの行為や、「試合に負けたお詫びにメンバー全員に1000円ずつ払え」などという言動などは、「社会通年上のいじめ」として捉えやすいかと思います。

では、授業中にAさんが発言の苦手なBさんに「Bさんも意見を言いなよ」と皆の前で強く促すようなケースはいかがでしょうか。このようなケースは日常的に散見されることでもあり、社会通念上では「いじめ」として捉えないケースが少なくないと思われます。ただし、Aさんが好意的な気持ちでBさんに促したとしても、Bさんが「皆の前で恥をかかされた」と心身の苦痛を感じたのであれば、法令上は「いじめ」に該当します(前述した「いじめ防止対策推進法」第2条)。

集団生活の場である学校では、このような偶発的に起こりうる行為について、全て「いじめ」として捉えることに違和感を持たれる方は少なくないでしょう。しかし、教師であれば、Aさんの言動に対しては、親切さを十分に認めた上で、発言の苦手なBさんの気持ちについて一緒に考えたり、「好意的な言葉でも相手を傷付けることもある」ことを、Aさんに丁寧に諭したりするでしょう。つまり、「いじめ」か否かに関わらず、その行為に対して適切な指導をしたり、子供が困っていたら、迅速に対応をすることが教師の役目ではないでしょうか。

そして、この指導の経緯を報告することによって、後で、「いじめ」に該当するのかどうかを、学校として判断をすればよいのです。(いじめの認知は、特定の教職員のみによることなく、「学校におけるいじめの防止等の対策のための組織」を活用して行う・・・【いじめの防止等のための基本的な方針】より)

先に「いじめ」か否かを判断してから指導をすることは対応の遅れなどにもつながりかねません。すなわち、「いじめ」という言葉に敏感になりすぎて、教師としての対応にブレーキをかけてしまっては元も子もありません。

教師としての行動の本質を忘れないためにも、「いじめ」という言葉を、ひとまず横に置いてはいかがでしょうか?

参考