NITSニュース第103号 令和元年9月27日

学校事故において教師の過失を判断する視点

清水弁護士事務所 弁護士 清水幹裕

(1) 過失を判断するための要件の1つに「予見可能性」(事故の発生を予見することが可能であったかどうか)というものがあります。 つまり、ある行為をする際に教師が事故の発生を予見出来なければ、それを防止する行為をとる事はありえないので、その場合には過失を認定出来ない訳です。 そこでどのような場合に予見が可能といえるかが大きな問題になります(刑事と民事では内容が微妙に異なりますが、東京電力福島原発事故における旧経営陣の刑事事件においても「予見可能性」が争点なのはご存じの通りです)。

ような場合は予見可能性があるとされますが、そうでなく専門書に書いてあるなど少し専門的な知識が必要な場合には微妙な判断になります。

現在最高裁判所に継続中の大川小学校の事件(東日本大震災の際の津波により多くの生徒が亡くなった事故につき、教師の指揮が適切だったかどうかが争点となっている事件)について学校側は「津波・地震の専門家ならいざ知らず、具体的には津波の強さ、速さも分からず、生徒の誘導についても直接経験のない小学校の教員に専門書にあるような対応を要求をするのは酷である」という主張をしましたが、1審、1審ではこの主張は認められませんでした。 最高裁の判断は法律的に注目されますが、いずれにしてもあれほどのニュースになった以上、今後はこの事件を参考に予見可能性を判断するようになることは間違いありません。

ちなみに、最高裁平成18年3月31日の事件(高校のクラブ活動としてサッカーの試合をしていた生徒が落雷に当たった事件)でも教師の責任を認める判決が出ました(この判決が契機となって雷光・雷鳴の際には屋外活動が禁止されました)が、それについても「大学教員など自然科学の専門家であればともかく、初等中等教育の一般職員には厳しすぎる要求だ」という批判があります。 このように判断は微妙ですが、一般的に見て裁判官には生命身体に対する安全重視の姿勢があります。

(2) 上記でも少し触れましたが、生命身体の安全について裁判官は高度な注意を要求する、というのが第2点です。

生徒の中には、他の生徒に手を出したり、きたない言葉を浴びせたり、指導上苦労をする生徒もいますが、教師は教育的配慮や過去の経験等から、あまり特別扱いをせず、出来るだけ他の生徒と同じように処遇するという傾向があります。 こういう生徒が授業中や休み時間中に他の生徒に怪我をさせてしまう(生徒間事故)と教師の指導に落ち度(過失)がなかったかが問われるのですが、裁判官は教師に厳しい判断をします。

つまり、「他の生徒の安全を脅かすような素行のある生徒は日頃から十分指導するのが教師の責任である」「他の生徒の安全を守るためには教師は十分な配慮をせよ」という傾向があります。 学校現場にはいろんな事情もあって、裁判官の言うようにはいかないよとの反論もありそうですが、こと生徒の安全にかかわる事は厳正に対処する必要があるといえます(良くない事を良くないと教える事の必要性が特に他の生徒の安全に関しては強調されるのだというように私は考えています)。