NITSインタビュー ~学びのスパイス~

第1回 荒瀬克己理事長[前編]

独立行政法人教職員支援機構(以下、NITS)では、役職員や教育関係者へのインタビューを通して、教育に関わる知見を広く提供するとともに、より多くの教職員や教職員を目指すみなさんに、NITSについて知り、関心を持っていただくことで、日々のちょっとしたスパイスになればとの想いから、「NITSインタビュー ~学びのスパイス~」を始めます。

第1回は、NITSの荒瀬克己理事長です。前・後編の2回に分けてお届けします。今回はその前編です。

――現在、NITSの理事長であり、第12期中央教育審議会の会長でもある荒瀬理事長ですが、キャリアの始まりは学校の先生でした。

大学を出て、新任教員として京都市立伏見工業高校に配属されました。講演などでも話しているのですが、そこではとにかく生徒が手強かったです。教室にいないし、教科書も持ってきていない。途方に暮れました。でもそんな中、生徒と言葉のやり取りをして、ちゃんと授業ができている先生がいました。「なんでだろう」と思って授業を見てみると、その先生は生徒たちを一切馬鹿にせず、誠実に対応していました。生徒は、先生が自分たちのことをどう思っているか、見抜くんです。授業を聞いてくれないのは、つまらない授業をする自分たち教員のせいなのに、生徒たちのせいにしていました。でもよく考えたら、分かりやすい授業を考えるのが教員の仕事であるわけで。それ以降、生徒に対する誠実さを失ってはだめだということを念頭に置いて授業を行うようになりました。

――何か変わりましたか?

少しずつ授業ができるようになっていきました。「石の上にも三年」ということわざがありますが、その通りで、実際に四年目から落ち着いてきました。授業が分かって笑顔になる生徒もいて、うれしかったのを覚えています。

――その頃の印象深いエピソードなどがあれば、教えてください。

私は国語科の教員なのですが、「係り結びの法則」を教えた際に、生徒から「これなんぼになるん?」と質問されたんです。その生徒は土木科で、測量や材料、構造計算などに関することは就職のための資格取得に必要、つまりお金になりますが、「係り結びの法則」は何のためになるのか。私はその質問に答えられませんでした。このエピソードがきっかけとなり、「学校で学ぶことは何のためになるのか」「学校で何を学ぶのか」というのが、私の一生の問いとなります。

――その後、京都市立堀川高校に異動されました。

堀川高校は、いい意味で遊び上手な子たちが集まり、楽しい高校生活を送っている、そんな学校でした。ただ、楽しい一方で、浪人する生徒も多くいました。かと言って、現役で大学入試に合格すればいいのかというと、そういうものでもありません。では、何のために学ぶのか。自分の興味のあることを通して、学問の入口を知り学びの楽しさを自分でつくっていけないものか。そういうことを考えていく中で、「探究」という言葉に出会いました。

――「総合的な探究の時間」の始まりですね。

学問へのアプローチには、いくつかの方法があります。そのために、学びの作法、つまり学び方を学ぶ必要があると考えました。そんな中で『知の技法(小林康夫/船曳建夫編)』という本を読み、そこで紹介されている課題探究型の学習を高校でもできないか、と思ったんです。ただ受験に合格するために勉強するのと、「こういうことを学びたい」という気持ちを持って勉強するのとはモチベーションが大きく異なります。

――教育委員会は受け入れてくれたのでしょうか?

当時、京都市教育委員会では、新しい魅力的な高校をつくろうとしていました。そこで、課題探究型の学習を取り入れた学校はどうかと提案したところ、その方向で進むこととなりました。
その後、教育委員会に異動となり、指導主事として学校の設立に向けて構想していきました。新たな学校施設を構想する上では、必ずしも「『目的』的につくらない」ことを意識しました。一般的な学校にある音楽室、美術室、理科室などの、あらかじめ目的が決められた教室をつくらず、いろいろな用途に使える部屋を考えました。
また、「探究」の時間は一日の最後のコマに行うようにしました。最後に持ってくることで、希望する生徒は引き続き残って探究できるからです。多くの生徒が、授業後に残って探究に取り組んでいたように思います。

――苦労も多かったのではないですか?

「探究」の時間の検討を重ねていくうち、どうしても決め事を増やしてしまいがちになります。一定の枠組みは必要ですが、生徒主体の学びの時間とするためには、基本は生徒に委ねなければなりません。その一方で、ある程度の指導をする必要もあります。その加減が難しい。「探究」は、生徒たちが今後生きていくための準備だと思っています。キャリア教育であるわけです。自分で学んでいく作法を身につけられているか、教員はそこを意識して、さまざまな問いかけをする必要があると考えています。