NITSインタビュー ~学びのスパイス~
第2回 島谷千春審議役[前編]
独立行政法人教職員支援機構(以下、NITS)では、役職員や教育関係者へのインタビューを通して、教育に関わる知見を広く提供するとともに、より多くの教職員や教職員を目指すみなさんに、NITSについて知り、関心を持っていただくことで、日々のちょっとしたスパイスになればとの想いから、「NITSインタビュー ~学びのスパイス~」を行っています。
第2回は、NITSの島谷千春審議役です。前・後編の2回に分けてお届けします。今回はその前編です。
――島谷審議役は新卒で文部科学省へ入省されていますが、もともとは先生を目指されていたんですよね?
小学生の頃、学級崩壊しているクラスにいたことがあり次々と担任が変わる経験をしました。その影響で、「子供にこんなに大きな影響を与える先生って何だろう」と小学生の頃から教師という職業に興味関心があって、自然と教職を目指すようになりました。大学生になり進路を考える中で、先生を支える側の行政という選択肢を知り、先生が倒れないようにするにはどうしたらよいかを考えたくて、文部科学省に入りました。
――その後、令和4年10月から令和7年3月まで石川県加賀市の教育長を務められました。縁もゆかりもない土地の教育長ということで、苦労も多かったのではないですか?
当然のことながら、最初から先生全員が同じ熱量を持てている訳ではなかったので、初めは、先生たちがどこで困っているのか、何を考えているのかをとても気にするようにしていました。教育長は、挨拶など外に向けて発信する機会が多いので、自分が発信した言葉で「あの先生はこの言葉を苦しく思わないか」など、一つ一つ言葉を吟味して選んで話すことを常に心がけていました。先生は言葉で勝負している人たちなので、想いがある言葉であれば、よく聴いてくれるんです。彼らの貴重な時間を奪わないために、ありきたりの挨拶ではなく、ちょっとでも前向きになれる言葉をいつも探していました。裸の王様になりたくないなという気持ちも強かったので、人の気持ちをできる限り受け止めようと、あの時期は感度もすごく上げていました。そのため、先生たちの気持ちの揺れを良くも悪くもけっこう受け取ってしまうところも。ただ、人の想いに敏感になるということは、技術云々ではなく、新しい土地でコミュニケーションをとっていくうえで必要不可欠なことだったと思っています。
――教育長に就任して3カ月で「学校教育ビジョン」を立てられました。とてもスピーディですよね。
もともと大きな方向性は、加賀市に行く前からずっと考えていましたが、実際に着任してから学校を回っている時に、「何に向かって頑張ればよいか分からない」と言っている先生がいたんです。忙しくて、対処療法で乗り切ることしかできなくなっている現場が、向かう旗を見失っている状況を目の当たりにして、だからこそ早めに方針は出したいという想いがありました。もちろん懐疑的な人はいましたが、全員諸手を挙げて賛成するまで待つ訳にもいかず……うまくいかなければ修正すればよいという想いで、まずはとにかく方針を決めて、そこからスタートしました。
一連の取組では、明るくうまくいった部分がクローズアップされがちですが、そうではない部分ももちろんあります。でもそんな中でも、子供たちが変わっていくことが、私にとっても、最前線の先生たちにとっても、全てのパワーの源でした。ネガティブなことも多い中、ポジティブなことはシンプルに人を元気にさせるんだなと実感したことを覚えています。
――教育長時代に、リーダーとしてどんなことを心がけていましたか?
私は「一緒に仕事ができて楽しかった」と同僚に言われるのが一番うれしいです。それはつまり、みんなが気持ちよく仕事できているということなので。それまで、中間管理職の経験は何度もありましたが、自分より上の立場の人がいないというトップの役割は初めてでした。リーダーに自分が向いているかどうかは分からなかったけど、実際にやってみると、責任の重さ以上に「自分で決められる」ことがこんなにも楽しいんだということに気付きました。とはいえ、「自分が人を動かす」ではなく、「みんなで仕事を動かしていく」イメージだったので、一人でやっている感じは全くなかったです。
――著書※注1の中でも触れられていましたが、教育の世界は、情(感情的なもの)と理(論理・理性的なもの)のバランスが特に難しいと思います。私は理で考えがちなタイプなのですが、時には情も必要だなと感じることがあり、見極めが難しいです。
理だけで動ける世界は、「正しさ」という意味でのゴールを明確に定めやすくて、筋道がはっきりしているので、圧倒的に楽ですよね。情は、「そうは言っても」というところと向き合うことになるので、人それぞれ納得する地点も異なり難しいです。でも、情が動くと人ってめちゃくちゃ動くんです。なので、タイミングとか場面、相手の状況に合わせて、どっちを重くした方がよいのかなと考えていました。
効率性だけを考えると、あまり情が入らない方がよいと思います。でも、人の気持ちは、理屈の正しさで割り切れるほど単純ではなく、けっこう面倒くさいもの。また、長い目で見て何かを自走させたい時などは、自分ごととして考えてもらわないといけないので、理だけで引っ張ることが難しいんです。組織マネジメントもそうだと思います。バランスは本当に難しくていつも反省しています。常に今日が明日の踏み台です。
でも、全てが完璧にできていることよりも、少し何かが足りない方がよいのかもしれません。足りないと、何が必要なのかが明確に分かるので。だから最近は、あまり完璧を求めすぎないことが大事なのではないかと思ったりもします。例えば、学校の公開授業とかもそうですが、準備しきった高尚な授業を見ても、見ている方は「すごいね」ってお客さんになるだけで、なかなか最初の一歩が想像しづらい。でも、何か不完全で足りないものがあると、「自分ならこうする」とか「何があったらもっとよくなったんだろう」という思考の余地が生まれるので、自分ごととして受け入れやすく学びが多いのではないかと思います。不完全のちょうどよさを、もっと許容できるようになったら、もっともっと肩の力を抜いてやれるんだろうなと思います。
※注1:『BE THE PLAYER(自治体丸ごと学びを変える、加賀市の挑戦)』島谷千春著
- 後編(令和7年11月5日(水曜日)掲載予定)に続きます。