NITSニュース第229号 令和6年2月9日

ウェルビーイング

帝京大学教職大学院 講師 町支大祐

はじめに

「ウェルビーイング」という言葉、ここ数年テレビやネット等で聞く機会が増えたんじゃないでしょうか。学校教育界隈で言うと、第4期教育振興基本計画に盛り込まれたことで、改めて注目されています。

さて、その意味はどういうものなんでしょう。一般的には、「幸福」と訳されることも多いのですが、「幸福と訳すな」という論者もいます。改めて言葉そのものに目を向けてみると、”well”はご存知の通り「よい」。では「being」は?「あり方」や「状態」という人もいれば「間」というように捉える人もいます。ingがついていることから、何かの途上であり、変化の中にある、というように捉える人もいます。…要は、多様な捉えがあり、つかみ所のない言葉だと言えます。

「深さ」「長さ」「広さ」から考えるウェルビーイング

とはいえ、幾つかの特徴は見てとれそうです。「深さ」「長さ」「広さ」という観点から考えてみたいと思います。

まず「深さ」について言うと、物質的な豊かさや経済的な豊かさそのものを表すのではなく、内面が満たされていることを重視しています。これはJapan as No.1と言われた経済大国であった時代にも似たような議論があったと思います。どんなにお金を持っていても、物をたくさん持っていても、体や心が疲れていればウェルビーイングとは言えないようです。

次に「長さ」。ここでは、時間的な長さを指しています。今、満足している状態と、将来的に満足していることは、必ずしも一致しない場合があります。例えば、今は快楽的な満足を得ていたとしても、そればかりを求めていたら、将来的な見通しが立たない可能性があります。一方で、将来的に満たされることを重視しすぎて、現在は疲弊しているという状態もあるかもしれません。自分の将来、と言ってもお金がほしいと言ったことではなく、自分の人生の目的を見据えながら、体や心のバランスが取れた状態で努力できている人がいれば、快楽的ではないかもしれないけれど、満たされていると言えるのではないでしょうか。そうしたことも含めて考えるのが、ウェルビーイングだと言えそうです。

ところで、そうした状態を実現する時に鍵になるものの一つは「理性」でしょう。目的を持ち、それに向かって自律的に動けている時、理性が働いているはずです。1点目では「体」と「心」が満たされていると言いましたが、その意味で言うと、「頭」が十分に機能することで満たされている状態、という側面もあると言えるでしょう

さて、最後に「広さ」。これは、自分だけではない、ということです。自分だけが満たされて幸せな状態ではなく、それが周りの人や、周りの人との関係も含めて社会的に実現される状態、そしてそれを目指すような在り方を含めて考えるという点にも特徴があります。

目を向け、耳を傾ける

さて、こう書いても何のこっちゃと分かりづらいかもしれません。訳として使われがちな「幸せ」が定義できないように、「ウェルビーイング」もコレ!という分かりやすい示し方はありません。むしろ、それは問題を生じさせる可能性もあります。なぜなら、ウェルビーイングはあくまで主観的なものです(それを類推するものや、その要素をつかむための客観的な捉えがないわけではないですが、基本は主観的なものだと思います)。「子どものウェルビーイングはコレ」「教員のウェルビーイングはコレ」ということを、私や皆様も含め、誰かが決めることなんてできません。とすれば、耳を傾けることしかできません。見とろうとすること、聞き取ろうとすること、読み取ろうとすること、これまでもやってきたことだと思いますが、そうしたことが今まで以上に大切になるのかもしれません。

幸せですか?

さて…。このように書いてみて、ふと気づいたことがあります。これは私のような大学教員も含めて、教育に関わる人の性であるかもしれないのですが、最初に考えるのが「他者のウェルビーイング」でありがちだ、ということです。学校教育に関わるウェルビーイングを考えようとしたときに、「教員として、児童生徒のウェルビーイングに焦点を当てること」があまりに自然に生じてしまいます。

でも、上で述べたように、ウェルビーイングは主観の世界です。自分で自分の状態を見つめることから始めてみてはいかがでしょうか。(幸せと訳すなという先生もいらっしゃいますが、ここはあえて簡略化して)「あなたは幸せですか?」と問われたら、みなさんはどう考えますか?どう答えますか??そして、そう問われた時の自分は、どんな感じがしますか?

これから

ウェルビーイングをカッチリとした定義のようなものから考えるのは難しいと思います。それぞれの人が思うウェルビーイングを持ち寄りながら考えていくしかないのだと思います。だからこそ、まずは自分自身のウェルビーイングを見つめること、それを、他者を尊重しながら交わらせていくこと。

そういったことの先に、ウェルビーイング像みたいなものがボンヤリと見えてくる(…かもしれません笑)。