NITSニュース第48号 平成30年7月6日

児童生徒の問題行動を理解するための視点

関西外国語大学 教授 新井肇

「問題行動」とは、社会規範(法律や規則、常識やマナーなど)に照らしたときに、何らかの好ましくない意味を持つ行動をさす言葉です。

「反社会的問題行動」(暴力行為・暴走行為・窃盗・恐喝・いじめなど、欲求不満や不安を社会に対して攻撃的な形で示すもの)と「非社会的問題行動」(不登校・ひきこもり・自傷行為・自殺など、不安やストレスを解消しようとする行動が自己の内面に向けられ、社会的不適応を起こすもの)とに大別されます。

しかし、考えてみると、反社会的なものであれ、非社会的なものであれ、「問題行動」とは、大人や社会、あるいは学校や教員が、その社会や集団、もしくは個人の規準によって「その行動は問題である」と認識し、「問題行動」というレッテルを貼ったものと捉えることもできます。

例えば、暴走行為をしている少年に対して、自らの命を危険にさらし、他者を巻き込む事故を引き起こしかねないという観点から、私たちはその行動を「問題である」と捉えますが、少年自身はそのことを問題と思っているとは限りません。

むしろ、「気持ちのよい」、「格好いい」行動と捉えている可能性が高いと考えられます。また、本人がどこまで意識しているか量りかねますが、暴走行為を通して「自分のことをみてほしい」という「やむにやまれぬ思い」をメッセージとして周りに伝えようとしていると捉えることもできます。

つまり、「問題行動」とは、児童生徒による「問題『提起』行動」であるのかも知れません。したがって、「問題行動は抑えなければならないもの」という捉え方だけではなく、児童生徒の「心の危機の叫び」として捉える視点をもつことが求められるのではないでしょうか。

「危機」(crisis:クライシス)とは、通常のやり方、ないしは、それまで自分がとってきたやり方ではうまく解決できず、どうしてよいか分からずに精神的な混乱(パニック)に陥るような不測の事態に遭遇することを言います。

もともとは「峠」とか「分岐点」を意味するギリシャ語のcrisis(クリシス)に由来する言葉です。解決困難(と思われるよう)な状況に突き当たったときに、それをうまく乗り越えることができれば、成長へとつながります。

しかし、そのまま危機から立ち上がることができなければ、致命的なダメージを受けることにもなりかねません。危機を成長への好機につなげられる(ピンチをチャンスにできる)ように「指援(指導・援助)」することが、生徒指導の重要な役割であると思われます。

「生徒指導は児童生徒理解にはじまり、児童生徒理解におわる」と言われます。そのときに大切なことは、教員自身が児童生徒の行動をみるときの自分の立ち位置に気づくこと(自己覚知)です。

児童生徒を観察対象とみて観察主体である私たち教員との関係性を切り離し、問題の原因を本人や家庭にのみ求めるのではなく、対象と観察主体とは相互に影響し合うという認識に立って、関係性をもとに児童生徒の問題を理解しようとする姿勢が不可欠であるように思われます。

問題を外的環境のせいにするのでなく、自分たちの実践のあり方やその前提にある価値観や認識の枠組み(教育観、子ども観、生徒指導観 など)を見直ことによってはじめて、表面には現れずに問題に影響を及ぼしている側面に気づき、真の問題解決に向けて児童生徒や保護者に働きけるための方向性を見出すことが可能になるのではないでしょうか。